とりあえず思いつく本を挙げておきます

母になっても読書は日課。本の記録と紹介のブログです。(3ヶ月以内に出版されたものを「新刊」、概ね半年以内に出版されたものを「準新刊」としています)

天童荒太『悼む人』

結局私もインフルB型にかかり、この週末は家族全滅でした…。
信頼していたクレベリン+空気清浄機が今年は効かなかったショックは大きいです。

そんな中、よく読ませていただいているブログに天童荒太さんの『悼む人』が紹介されていまして。
これは私も印象に残っている作品で、同じ本の感想の共有ってなかなかできないので、今日は過去の読書録から拾ってきたものを再構成してみたいと思います。

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高校時代ほどの遠い昔、題名も著者名も忘れてしまった随筆の冒頭で、「死者はやがて数になる。数はやがて点になる。」というような言葉で、世界各地の紛争で失われる命が次第に忘れられていく現実を憂いている文言がありました。

"世界各地で尊い命が失われているのに、自分は平和な日々に安穏として生きているなぁ…
ニュースを見て悲しい事件に心を痛めても、時間が経つと忘れてしまうなぁ…"

若かった私はそんなことで自分を責める気持ちになり、例え知らない人であっても、どこかに生きていた人の存在を忘れないでいたいと強く思ったことを覚えています。
戦争や報道されるニュースだけでなく、報道さえされない数えきれない「死」に至るまで、そこに思いを馳せるだけで苦しさに押し潰されそうになっていました。(ピュアでした。)


そのしばらく後に何の関係もなく『悼む人』をたまたま読んだのですが、この「死者はやがて数になる。数はやがて点になる。」という言葉が、私の中でリンクしたのでした。

悼む人

悼む人

本書に登場する「悼む人」は、数々の土地を放浪しながら会ったこともない人の死を悼み、自分なりのやり方で弔って歩く人物だったと記憶しています。
そのやり方が正気の沙汰ではないのですが、かつて生きて死んだ人物に対し、「あなたを忘れない」という内なる思いを悲しいくらい律儀に行動に表しているのでした。

それまで他人の死について考えていた私ですが、悼む人を読んでいくなかで、次第に自分の死について考えさせられるようになりました。

今ならもし私が死んだら恐らく泣いてくれるだろう人たちがいるが、
いつか歳をとったときにも、もしかしたら自分の生きた軌跡に今とは違う執着があったりして、誰でもいいから自分という存在を覚えていてほしいと願うようになるのだろうか?と。

けれど大切なことは、自分という存在が生きていたという事実は「誰かの記憶」にとどめておくことが大切なんじゃなくて、それより、自分の生きた形跡がこの世のどこかに残ることなんじゃないかと思い至ったのです。

それは例えば、後世に残る発明をするとか、何代も続く会社を創るとか、子孫を残すとか、財産を遺すとか、著書を出すとか、そんな物理的なことでありません。
本書の中では、助産師が夜中に子どもを取り上げるために出かけて帰りに居眠り運転でなくなったけれど、助産師の命と引き換えに新しい命がこの世に出た、というくだりがあります。
これももしかしたら、一人の人間の生きた跡が世に残ったということなのかもしれません。

ただ誰かを幸せにしたとか精一杯自分の仕事に取り組んだとかそんな泥臭いことだって、これから連面と続いていく世界の一端を紡ぐことではないかと思ったのです。
そんな個々の一瞬一瞬が、世界の歴史や未来をつくっていくと信じていたのですね。(ピュアでした)

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自分の読書録にはまだ色々な感想や引用も続くのですが、今日はこの辺りにしておこうと思います。

読んだ当時に最も強く考えたこと3つだけ書き残しておきます。
(これは文書で残しておらず、完全な記憶のみに頼って書いたので、誤りがあればご指摘ください)

・十人十色の状況で亡くなった人のエピソードが綴られていますが、実話をもとにされているそうです。
残酷なものや痛いのが大の苦手な私は、途中かなり辛くなりました。

・亡くなった方は「死者」「故人」という言葉でまとめられてしまいますが、その一人一人が固有の思い出や愛する人、仕事や人生ドラマを抱えていたのです。
ニュースで「死者○○名」が目に入っても、その数字に隠された背後の部分を意識するようになりました。

ちなみに大震災など大きな被害があった日だけに形式的に黙祷する風習も手放しで賛同できません。
毎日誰かの命日なんです。
毎日世界の大勢が命を落としているんです。
愛する人を失った遺族や関係者の気持ちを考えると、歴史に残る大災害や大事件だけが黙祷に値するとは限りません。
黙祷は確かに大切な意味のあることではありますが、多数の被害者が出た特定の日だけを取り上げることに、なんとなく釈然としません。

・それでもやはり「忘れていく」というのは、遺された人間にとって癒しや慰めである気もします。
大切な人を失った苦しみは、癒えることはなくとも、時間が最大の薬だと言うひとは多いです。