とりあえず思いつく本を挙げておきます

母になっても読書は日課。本の記録と紹介のブログです。(3ヶ月以内に出版されたものを「新刊」、概ね半年以内に出版されたものを「準新刊」としています)

様々な絶望のカタチに出会ってみる~頭木弘樹『絶望図書館』(準新刊)

■失恋したらバラードを聴くか?ヘビメタを聴くか?

落ち込んだときの立ち直り方ってそれぞれだと思います。
若い頃たまに話題に上がったのが「失恋したら恋愛ソングを聴いて浸って泣くか?あえて激しい音楽を聴きたくなるか?」というもの。

私はいかにも「お涙ちょうだい」的なものが好きではありませんので、慰めてくれるバラードどころか音楽を聴いて浸って泣く、というロマンチストな発想もありません(^^;

せいぜい街でふと流れてきた曲を聴いて「彼が運転する車の中でこの曲を聴いたな」など、思い出がよみがえった程度でしょうか。

しかし友人は、あえてヘビメタやロックを聴いて、シャウトするボーカルやギターを叩き壊すギタリストに自己投影すると、少しは心が晴れると言っていました。


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そんな私も実際に最近、失恋ではないのですが(笑)酷く落ち込んでいたことがありまして。

音楽ではなく本の力を借りてみました。

その本は、バラードのように慰めてくれるようなエッセイでも心を奮い立たせてくれる啓発書でもなく、意外にも叩き壊されたギター(そっち?!)のような、絶望的な題材ばかりを扱ったものだったように感じます。



■他人の絶望に出会ってみる

他人の大変な状況と見比べて、「自分の状況はまだマシだ」というような発想は、私はあまり好きではありません。

でもフィクションの世界なら許されるのだということを今回経験して、少し気持ちがラクになりました。


こちらはタイトル通り、「立ち直れないときに寄り添ってくれる」絶望的な短編物語ばかり12編を集めたアンソロジーです。

4種類の絶望が[閲覧室]としてカテゴライズされています。

第一閲覧室
「人がこわい」という心理に関する3編

第二閲覧
「運命が受け入れられない」という葛藤の物語4編

第三閲覧室
「家族に耐えられない」という悩みを扱った3編

第四閲覧室
「よるべなくてせつない」という苦しさを描いた2編



■読んでみて

12編の中でも私の絶望感に寄り添ってくれたのは、次の物語4編でした。


筒井康隆『最悪の接触~ワーストコンタクト』
[どう頑張っても話が通じない人がいるという絶望に]

実験的に宇宙人と地球人が共同生活を試みるというSFなのですが、話が噛み合わなすぎて喜劇のようでした。
もうここまで意思の疎通ができずメチャクチャだと、地球人同士で話が通じないイライラなんて、かわいいもんだと思えてきます。


②W・アイリッシュ『瞳の奥の殺人』
[起きてほしくないことを止められない絶望に]

意識はシッカリしているが瞬きしかできない植物人間の老母。
あるとき息子の嫁とその愛人が、息子を殺す計画を話しているのを聞いてしまいます。
なんとか殺人計画を息子に伝えて阻止したいけれど、そんな願いも虚しく犯行計画がすぐそばで実行されてしまうことに…。

サスペンスで普通に読み物として面白かったのですが、もうこの老母ほどの不幸なんてないだろうなと、とことん一緒に絶望気分を味わいました。


安部公房『鞄』
[人生の選択肢が限られているという絶望に]

主人公は、"この重たい荷物を持っているために、行ける場所が限られている"と主張します。

人生には色々な足枷があって選択肢が限られてしまうことがあるけれど、ある意味、無限の選択肢があって途方に暮れるよりもラクなんじなかいかと思うこともあります。


手塚治虫『ハッスルピノコ』~ブラックジャックより~(コミック)
[居場所がどこにもないという絶望に]

ピノコは、ブラックジャックがある女性の細胞からつくった人造人間です。(だったかな?)
年齢は19歳ながらも見た目と知能は幼女のため、学校に入りたくても入れてもらえません。
それどころか肉親や自分の家という概念も持っていないような絶望的な存在で…。

生まれてしまった意味を否定的に考えざるを得ないピノコを思うと、自分が普通にこの社会で生きていること、家族をもっていること、アイデンティティのある人間として扱われていることが奇跡にさえ思えました。


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世界にはこれだけ多様な絶望があり得るとは、本を読んだり映画を観たりしない限り私には考えも及びません。
人間は色々な絶望を思い付くし、様々な状況を絶望と見なすのですね。

文学の中にはメチャクチャに叩き壊されたギターのような絶望を抱きながらも、なんとか生きている人たちが大勢いました。