とりあえず思いつく本を挙げておきます

母になっても読書は日課。本の記録と紹介のブログです。(3ヶ月以内に出版されたものを「新刊」、概ね半年以内に出版されたものを「準新刊」としています)

教職母の読書雑考③~読書時間のつくり方

私の読書ペースは、多くてもせいぜい月に10冊程度で、一般の読書家さんと比べれば決して多いとは言えません。
けれど子育て、仕事、趣味、家事と並行しているためか、時間の捻出方法についてはよく訊ねられます。

今日はそのことについて書いてみたいと思いますが、はじめにお断りさせてください。

・私は基本的に主婦で、現在は非正規で働いているため、多くのビジネスパーソンには合わない考え方・やり方があるかと思います。軽く読み流してください。

・時間の話をするにあたっては、お金(微々たる収入)の話も少し出てきますので、苦手な方や気分を害される方はご遠慮ください。



⬛目次

[1]予定は8割にとどめておく

食事は腹八分目までと聞きますし、使える金額は手取り収入の8割までを推奨されますし、最近では収納までも「スペースの8割を越えないように」なんてアドバイスを目にします。

これは余剰分を臨機応変に活用できるからだそうですが、私は「時間」のやりくりにも この考え方を取り入れています。

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私の場合24時間のうち「睡眠・食事・排泄」などの生命維持活動に使うのはだいたい8時間なので、

24-8=16時間→起きて活動できる時間となる。

この16時間から、

16×0.8≒13時間弱→生産活動に使う。

私はこの12~13時間で、仕事、子供の世話(送迎、習い事、宿題、遊び他)、家事、移動、身支度、買い物、風呂…などなど全て終わるようにしており、スケジュールに余裕を持たせています。

分かりやすい例えでいうと、朝6時に起床するとしたら、食事などを考慮して19時にはその日にやることがだいたい終わっている状態です。

そうすると残りの2割、

16×0.2≒3時間強→自由時間にする。

3~4時間あれば、本も読めるし映画も観れる。
夫や友達と遊びにも行けるし、やり残した仕事や家事をもう少し丁寧にやろう、子供の服を縫おう、なんてことも可能になります。
イレギュラーなことにも対応できます。

まず私の読書時間は、この余剰時間を活用することが多いです。

ただ、予定を8割にとどめるにも、効率を考えることは必要です。


[2]通常の1日のタイムテーブル

6:00 起床、朝食、洗濯、弁当作り
7:30 長女を送り出す、食器片付け、身支度
8:30 次女を幼稚園へ送る
9:00 仕事へ(移動中に読書)
12:00~13:00 退勤、昼食、(移動中に読書)

(13時から1hほど休憩、買い物、コーヒーなどゆっくりする)

14:30 次女迎え
15:00 長女帰宅、おやつや宿題、外遊びや習い事など
16:30 夕食作り
17:30 夕食、片付け
18:30 入浴、洗濯物たたむ、明日の支度
19:30 子供達就寝
19:30~22:30 自由時間
22:30 眠くなったら就寝



ポイント1
まずご覧のとおり、私は子供達が不在の午前中しか働いていません。
この午前中の2~3時間の労働で、1日に5ケタの収入を得ます。

これが多いか少ないかは別として、月に6~8日(週に1~2回)だけ午前中に働けば扶養を出てしまうペースになるので、今はここが限界のラインかなと思っています。
もっと収入を増やしたくなったら、仕事も増やして扶養を出ればいいかなと。

この他にも個人で請け負っている仕事をしていて、申告義務のない別の収入も得ています。
空いた時間に自宅で作業しています。(詳しくは読書雑感①参照)

要は、おカネを稼ぐ=いかに時間も稼げるか、効率のよさも考えて仕事を選んでいます。

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ポイント2
子供達が19:30には勝手に寝てくれるよう習慣にしてあり、これが自分時間の確保にかなり効果があります。
子供が寝るまでは母親業と主婦業に全力投球です。

ポイント3
何の取り柄もない私ですが、集中力と器用さだけはわりとあるほうです。
なので家事は「正・速・美」を念頭に、できる限りのクオリティで手早く済ませます。

昼の1時間と夜の3時間以外は、基本的にダラダラしません。

[3]心の余裕と時間

以上から言えることは、読書のためにわざわざ時間を作っているわけではなく、余った時間(主に夜)を読書に充てることがあると言った方が正しいかもしれません。

あえて読書のための時間を作っているとしたら、移動時間です。
私は車の運転をせず、公共交通機関を使うことで意識的に読書をできる環境にしています。

一方で夫と二人で出掛けるときだけは、バイクでタンデムが多いのと、会話や共に過ごす時間を楽しみたいので本は完全に置いていきます。


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タンデムwith夫のフォルツァ


確かに人生の貴重な時間を駆け足だけで過ごすのは勿体ないし、無駄なことをする心の余裕をもつことも大切です。
しかしそれは、やるべきことをやってから言えることだと思っています。

やるべきことは効率よく済ませ、空いた時間にゆったり過ごす。
緊張と緩和をバランスよくとることが、時間やりくりの決め手かなと私は考えています。

教職母の読書雑考②~読書へのモチベーション

芸術やスポーツその他文化に没頭したり、人と打ち解けて付き合ったりできることは、モノやカネにかえられない精神的な豊かさだと思います。

読書もまた然り。


たった一度の人生で自分自身という人格を保ちながらも、いくつもの「他人」の人生を疑似体験できるとは、読書ってなんて物凄い贅沢なんだ!と感じるのです。

もともと子供の頃から本は好きでしたし、今でこそこんな呑気なことを言えるオバサンになった私ですが、実は過去には、本を読むことそのものが死活問題だった時期がありました。



私は幼少期から色々問題を抱えていて、けっこう落ちこぼれた子供でした。
高校時代も、しょっちゅう親が学校に呼び出されるようなティーンエイジャーだったのです(^^;

そんな私ですから、進路決定の時には親に金銭的にも迷惑をかけられず、私立大学への進学は選択肢にありませんでした。

そこで授業料が安いという国が建てた大学へ進んだうえに、お恥ずかしい話ですが授業料もすべて国費から全額負担していただくことになりまして、要するに成績が下がると学業が続けられないという状況になったのです。

大学で単位をとるには、私の専攻はわりと実技や演習も多かったのですが、それでもやはり本を読むことは前提であり必須でした。

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大学院のときには、日中は小学校に勤務して、夜間は院の授業に出席しながら修士論文を書くような日々。
地方への出張調査も度々でした。

修士での研究は、特に文系だと先行研究を掘り返さなくては前に進めません。
そのためタイトな時間でも年間に3桁にのぼる文献(明治期の難解なものも含む)を読む必要がありました。

成績が下がったり、論文を書けなくなってしまったりしては、目指していた学位を取れないどころか授業料免除もなくなってしまう。
食べていくために仕事も疎かにできない。
「国民の税金で学業と研究をさせてもらっている」という負い目のようなものも、常にありました。

まさに背水の陣をしいて、20代の頃の私は「本」に体当たりしていたのです。

好きなときに好きな本を読めることがどれだけ幸せであるか、身をもって知りました(^^; 汗



個人的なことを沢山書いてしまいましたが、そもそも「本を読める」社会というのは、一定水準以上の平和が保たれている象徴のような気がします。

例えばカンボジアポル・ポト政権下では、図書館や文献資料が徹底的に燃やされましたよね。
独裁政権のもと国民の人権や人命が脅かされる場合、言論・表現の自由どころか活字の保存さえ許されない例は歴史上いくつも散見されるようです。

それに本があったとしても、文字を読めなければ宝の持ち腐れです。
日本は路上生活者でさえ新聞を拾って読める社会ですが、世界にはまだまだ識字率が最低レベルの地域は沢山あり、子供のうちから教育を受けられることの有り難さが身に沁みます。

安全な部屋があり、きれいな湯で淹れたコーヒーなんかを傍らに置いて、余暇に図書館や本屋から調達してきた本を、自分の意思で読むことができる…。

生きたくても銃弾が飛んでくる、飲む水にさえも困っている、学びたくても学校へ行けない、そんな人々が同じ地球に多数存在すると思うと、読書ができるってなんと勿体ないことかと思うのです。

水や食べ物を無駄にするのが申し訳ないように、(欲求の段階※は異なりますが)、本を読めるチャンスを無駄にすることも同じように申し訳ないことだと感じてしまいます。



※ by.マズロー

教職母の読書雑考①~まずは自己開示から

母親同士や仕事でも、読書が話題になることがこれまでにもありました。
細かいこともまとめれば、主に
・自分の読書時間をどう捻出しているか
・子供を読書好きにするにはどうしたらよいか

ということに集約される内容です。

このことについて、何回かに分けて個人的な話や考えを徒然とブログに書いてみようと思います。

そして読書を語るうえで、自分がどういう立場かバックグラウンドをあるていど明らかにしたほうがスムーズではないか、ということで、まずは自分のスペックから書いていきたいと思います。



私は主婦ですが、仕事は一応していて、ザックリいうと「教職」です。元々は正規の公立小学校教諭でしたが、夫が全国転勤のため、結婚後しばらくしてから泣く泣く退職しました。
そのため読書に関して言えば、司書教諭資格ももっていて、少なからず子供の読書には携わることがありました。

しかしこの資格はペーパー免許のようなものです。
ですので本に関しては専門家ではありません。
「読書愛好家」と名乗るのさえ気が引けます(笑)

ただ、一般的にはそこらの正体不明なオバチャンのまま語るよりは、読書指導に多少は携わったことがあると明かしたほうが、聞く耳をもってもらえるので書いておきます💦



小学校教諭退職後は転勤による転居(住民票の異動+体の移動を定義とします)は6回を経ました。
関東(結婚・退職時)→中部→関西→関東→中部→関東→中部[地方]です。
こうして見ると怒涛ですね(笑)
もちろん数ヶ月という短期間もありました。

転居を繰り返してきたため、小学校を退職後は正規職員は諦めていますが、ありがたいことに色々ご縁をいただき、これまで何らかの形で教職のお話が続いています。
・民間団体での講師、講演
・公的施設での公開講座
・家庭教師
・自宅教室
などです。

現在の居住地は珍しく5年目に入り、現在は
・子育て行政(公的会議への出席など)
・高等学院(予備校のようなところ)での大学受験指導
をさせてもらっています。


教育以外にも美術・デザイン系の修士でライセンスも持っているので、チョコチョコと制作系のご依頼も個人的に引き受けています。



つまりベースは子育て専業主婦ですが、好きなことでお仕事をさせてもらっていて、そんな中で本を読んだり映画を観たり観劇や美術館に行ったりしています。

ありがたいのは、読んだ本や鑑賞した芸術が何らかの形でそのまま業務に生かせるということです。

いや、むしろ本や新聞に限っていえば読まずにいるのは不安かもしれません。
例えば行政関係では最新の時事や社会の動向を知らないとお話になりません。
受験指導でも現代文や小論文指導では、やはり自分のもつ引き出しとして読書は必須と言えます。

AIとチャットして失望した話

本の感想ではありませんが、以前読んだ本とも関わりがあるので日記として書いておきます。


今日あるホテルのレストランのモーニングビュッフェについてホームページを見ていたところ、分からないことがあったため、「AIにチャットで問い合わせる」というアイコンを試してみました。

私:
「ホテル内のレストラン××は、宿泊しなくてもモーニングビュッフェのみの利用はできるのでしょうか」ポチ

AI:
「あなたの質問は以下の内容でよろしいですか?
⚫宿泊プランを朝食つきに変更する
⚫あてはまらない」

私:
「あてはまらない」

AI:
「朝食なしでのご利用を予約なさいますか?
明日以降のご利用が可能です」

私:
「」



宿泊せずにホテルのレストランで食事のみの利用をたまにするのですが、
そのレストランはランチについてしか書いておらず、モーニングも外部から利用できるのか聞きたかったのです。

全く話が通じないので電話でコンシェルジュに繋いでもらいました。


私:
「宿泊せずにレストラン××のモーニングビュッフェのみ利用はできますでしょうか。また、利用可能であれば料金をお聞かせ願います。」

コンシェルジュ
「レストラン××は、通常ですとモーニングサービスのみのご利用も可能でございます。」
「ただ、申し訳ございませんが現在改装中でして、現在はレストランを含めた全館をご利用いただけません。10月×日にリニューアルオープンですので、またのご利用をお待ちしております。」
「ご参考までに、モーニングサービスは中学生以上の大人の方が2,600円、小学生が1,700円、幼児の方が800円となっております。」

私:
(何でもない日のモーニングに2,600円はちょっと贅沢だわ汗)
←心の声



ここでAIと人間の圧倒的な差を見せつけられました。
20年前のコンピュータ応答サービスから全く変わりがない。

やはり現在のAIはまだまだ、与えられた命題1つに対して、1つの決まった解しか出せないようですね。
しかも今休業期間ってお姉さん教えてくれたけど、、、AIのいう明日って利用できないじゃん(^^;

ひとつふたつの問い合わせに対して、相手が本当は何を求めているかを読み取って必要な情報を判断して与えてくれる人間。
当たり前だけれど、やっぱりAIには高度なコミュニケーションなのだと実感しました。

シンギュラリティなんて本当にくるのかな?
シンギュラリティがくるとしても、少なくともよく言われる30年以内には流石に無理じゃないか?
…いや、最新のAIはもっとコミュニケーションとれるのか?
などなど悶々としてしまいました。


AIの未来は、私たちの暮らしへの影響が大きすぎるわりに、全く未知なのが面白いです。


AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

Newton(ニュートン) 2018年 01 月号 [雑誌]

Newton(ニュートン) 2018年 01 月号 [雑誌]

2018年8月の読書7冊

今月は、とある日曜日に突然パソコンが壊れまして(泣)
メーカーのサポートセンターに問い合わせたら予想通り修理ができない故障だったため、急きょ翌日にパソコンを買いに走りました(泣)

core i7の入った国内メーカーのwindows10を買いましたよ~。
やっぱり予定外の買い物とはいえ、せっかく買うならスペックは妥協できない。

初めてSSDの入ったPCを使いましたが、とにかく速い!!
タッチパネルのパソコンも初めてで、スマホみたいで使いやすい!

しかし急に十数万円の出費は主婦の財布には痛いです…(号泣)
一応ささやかに働いていますが、予定外の出費で手持ちが寂しくなったので、今月分は予定より仕事のピッチと収入額を少し上げることにしました(泣)

しかも以前のパソコンで使っていたソフトのアップデートやライセンス移行がスムーズにいかず、その作業のためにかなり時間を費やしてしまい。
今月の読みたかった本のうち2冊に手をつけられませんでした。


(以上、泣き言でした。)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

感想はまた別の機会に書けたらいいなと思います。


①キム・エドワーズ『メモリーキーパーの娘』

メモリー・キーパーの娘

メモリー・キーパーの娘



森博嗣『血か、死か、無か?』



森博嗣『天空の矢はどこへ?』



森博嗣『孤独の価値』

孤独の価値 (幻冬舎新書)

孤独の価値 (幻冬舎新書)



⑤橋本紀子 他『教科書にみる世界の性教育

教科書にみる世界の性教育

教科書にみる世界の性教育



⑥学研プラス『5分後に意外な結末』

青いミステリー (5分後に意外な結末)

青いミステリー (5分後に意外な結末)



⑦エレン・『ささいなことにもすぐに「動揺」して
しまうあなたへ』

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)

ちびまる子ちゃんと私

私が初めて買った雑誌は、「りぼん」でした。
テレビで毎週欠かさず観ていた、大好きだったちびまる子ちゃんの下敷きが付録でつくと聞いて、お小遣いを握りしめ、ドキドキしながら友達と近所の書店に行ったことを今でも覚えています。

そこで少女マンガのキラキラした雰囲気に出会い、ひとつ新しい世界を知ってしまったような気持ちになったものです。
あれは小3の5月でした。

テレビでちびまる子ちゃんのトリコになった小2の頃には、「あと少しでまるちゃんの歳に追い付ける!」と待ち遠しく思っていました。
けれどいつの間にかまるちゃんの学年に追いつき、お姉ちゃんの学年さえ越えて、更には自分も姉妹の母となっていました。

妊娠中にはさくらももこさんのエッセイを読み漁り、特に『そういうふうにできている』には大変勇気付けられたことが忘れられません。

そういうふうにできている (新潮文庫)

そういうふうにできている (新潮文庫)

長女は現在小1。
小学校入学時には「あと2年でまるちゃんに追いつける」と、喜んでいました。

年月が流れるのは早いものです。



何がきっかけかは分かりませんが、娘たちも気付けば『ちびまる子ちゃん』の大ファンになっていました。

幼稚園のころから毎週欠かさずアニメを観て、まるちゃんのマシュマロを買えば大喜びしていた娘が、折しも今月ついにまるちゃんのコミックデビューを果たしました。
面白い場面があると声をあげて笑い、いちいち「お母さん見て見て!」と追いかけてきます。

ついさきほども昨日録画したアニメを観て、まるちゃんに釣られて「宇宙人はいるか?いないか?」議論をしていました。
枕元には読みかけのコミックを伏せたまま眠ってしまい、後から気付いた母は「だらしない!」と呆れました。



こんなふうに私たちの日常では、所々にまるちゃんがいます。
つい先程まで、一緒にいたような感覚です。

さくらももこさんが既にこの世から旅立たれたなんて、とても信じられないし受け入れられません。

けれどそれと同時に、長きにわたり愛されてきた、そしてこれからも愛されていくであろう「ちびまる子ちゃん」を遺してくれたことに、感謝と羨望が入り交じった気持ちにもなります。

少しマヌケで呆れつつも、優しさがあるまる子は憎めません。
ギャグセンスの光る笑い話もあれば、人情味あふれホロリとくる話しもありました。
昭和から平成、次の時代を控えながらも愛され続けるのは、等身大のキャラクターのよさや、どこか懐かしくも身近な生活風情に共感ができるからだと思います。

そしてコミックやアニメだけでなく、エッセイなどの作品からは、さくらももこさんのユーモアや温かいお人柄が溢れ出ていました。



さくらももこさんのご冥福を、心からお祈りします。
そして輪廻転生があるとすれば、来世でも面白い作品を描いていただき、私もまた出会えたらいいなと思います。


娘たちが寝る直前まで読んで大笑いしていたのは、こちら『ちびまる子ちゃん』12巻でした。

波頭亮『AIとBIで人間はいかに変わるのか』

波頭亮『AIとBIで人間はいかに変わるのか』を読みました。

AIは人工知能のことで、自ら学んでどんどん賢くなっていくという特性があり、あらゆる点で人間の能力を越えるのではないかと言われています。
BIとは「ベーシックインカム」のことで、労働の有無に関わらず、生きるために国民すべてが無条件に受け取ることのできる最低限の収入のことです。


本書の内容をザックリまとめてみます。


【1章 AIについて】
AIのこれまでの歴史について触れながら、今後どのように進化していく可能性があるか紹介されています。
またAIの強みと弱点を挙げながら、AIをどう活用していくべきかについても考察しています。

AIが苦手なのは、身体ベースのマルチタスク、直感/直観型の作業、クリエイティブ要素のある制作など。
ということで、情緒や身体性が必要な仕事はやはり生身の人間の得意分野として譲れないものとなりそうです。


【2章 BIについて】
BIの仕組みとメリットが紹介されています。
AIに仕事を取られてしまっても社会の誰もが食べていけるように、BIはこれからの社会に必要なものなのだそうです。

BIの長所は
①全員が無条件で受け取れるシンプルさ
②運用コストが少ない
③恣意性が入らない
④働くインセンティブが失われない(働いたらBIとは別に報酬を得られる)
⑤個人の尊厳を傷つけない
という点です。

BIは「働かない人(フリーライダー)を増やすのではないか?」とか「財源を確保できるのか?」との観点から、導入に抵抗があるのが一般的な世論のようですが、これについては解決案が明記されていました。

これほど良いことづくめのBIがなぜ実現しづらいのか、その理由も問題点として具体的に述べられています。
他にも民主主義・資本主義の特性を踏まえた上で、日本のみならず先進諸国の例なども取り上げられています。


【3章 AI+BIと人類】
AIとBIが台頭した社会で、人間の暮らしがどう変わり、どう生きていくべきかを考察しています。
仕事の多くがAIにとられ、BIで食べていけるようになったら、当然働くことの意味が変わります。
そんな中で私たちは、人間らしく心身ともに豊かに生きられるための能力、、、つまり人生で打ち込めることを一人ひとりが見つけなくてはならないということです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

AIは概ね知っていることばかりだったから良いとして、BIについては基礎的なことを本書で初めて詳しく知ることができました。

生活保護の不正受給者の問題などを聞くたびに、「働かざる者食うべからず!」と憤りを感じていた私です。
BIについても「働かなくても全員がお金をもらえるなんて!」と抵抗がありました。

けれど生活保護などとは当然ながら根本的に違うのですね。
つまりこの世に生まれてきた時点で、貧富の差は関係なく、誰もが食べて行けることを保障されている状態がBIという制度なのです。
これは人類史上で貨幣経済が生まれて以来の、経済の在り方そのものの大きな大きな転換とも感じました。

ただ、ひとつ言えるのは、人口増加や経済格差、環境破壊や戦争などあらゆる点で行き詰まった現代社会では、社会システムのどこかを根本的に変えなくてはならないということです。
BIの試験的導入で成功していることや、経済学各派が揃ってBIを推していることなどから、ここはBIを試してみる価値があると思うのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

AIが仕事をある程度してくれて、自分が食べることに困らなくなったら、これはある意味「人類の存在する意味」や「人類はどこへ向かうのか」ということをこれまで以上に問われることになるかもしれません。

筆者も本書で述べていますが、人間は働かずに食べて行けるようになったら、怠惰になるよりもむしろより有意義な活動や生き方を求めるようになるのだそうです。

AIとBIが活用される世の中がユートピアになるのかディストピアになるのかは、まさにこれから現代人が正しい認識をもって何を選択していくか、分岐点に差し掛かっているのだなと危機感を抱くことができました。
当然ながらAIもBIもメリットが大きいぶん、使い方を誤ると人類の存続さえ脅かしかねない…諸刃の剣となるでしょう。