人間関係にドーンと構える~岸見一郎『嫌われる勇気』
■「コップの中に半分の水」という事実をどう見るか?
「物事には本来意味はない。ただ何かの"現象"が在るだけで、それが良いことか悪いことか意味を決めているのは人間であり自分である」
ドーキンスだったか誰かが確かこんなことを言っていました。
マイナス思考の私は、とても新鮮な考えに触れたなと思った記憶があります。
例えばここに半分水の入ったコップがあるとして。
とっても喉が渇いた自分がそれを手にして、「半分しか入っていない(少ない)」と思うのか?「半分も入ってる(充分)」と思えるのか?
どちらの思考ができるかで幸福度は自ら変えられるんだよ、という話を昔教え子にしたことがあります。
生きていれば皆何かしら悩みはあると思うのだけれど、そのストレッサー(ストレスのもと)をどう捉えるか・意味付けするかによって、ある程度は自分の心を守ることができるのではないか…なんてそんなことを考えたりするわけです。
■アドラー心理学の人気がでたわけ
そんな「ものごとをどう捉えるか?」に端を発した心理学が、まさにアドラー心理学かなと思っています。
もうすんごい人気でロングセラーの『嫌われる勇気』を、年末に私も読みました。
あくまでこの本から読み取れる「アドラー心理学」の要点は、
・人の悩みはすべて人間関係である
・トラウマは存在しない(自分で過去を理由にしている)
・何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか
・自分の課題と他人の課題を分けて考え、他人の課題には干渉しない
・怒りの感情は出し入れ可能(自分でコントロールできる)
・人間関係には「共同体感覚」が大切であり、そのためには自己受容、他者信頼、他者貢献の3つが必要
どういうことなのか詳しくはもちろん本書に書いてあるのですが、ザックリいうと要するに"他人のことに深入りしすぎず適度に信頼し、他人からどう思われても気にしない"というスタンスかなと私は解釈しています。
そしてこれは、そっくりそのまま本書が人気の理由になるのかなとも感じます。
それだけ人間関係で悩む人が一般的に多く、悩みすぎ考えすぎたり、人から好かれたいと頑張りすぎたりしてしまう人が多いということなのでしょう。
そして私もなるべく、自分の努力でどうしようもないことは、誠意を尽くしきったらあとは執着しないようにしています。
■気付きもあるが反論もある
一般書評では「本書に救われた」とか「人生の教科書」など、この本で悟りを得た読者が多いことがうかがい知れます。
私はというと、こんな言葉が印象に残っています。
ひとつめ
「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。
分かっているんですけどね、どんなことも巡り巡って関係ない他人に良くも悪くも影響することがあると思うのです。
私には変な正義感のようなものがあって、だからつい道徳的じゃない場面や自分の価値観に合わないことに出くわすと「それいけないことだよ」と口を出したくなる。(たいていは出さないけど)
ふたつめ
「私は嘘で塗り固められた善人よりも、己の欲望に正直な悪党を信じます!」
哲人と青年が対話するかたちで進む本なのですが、卑屈で悩み多き青年が発した言葉です。
本題からは逸れたポイントなのですが、私は本当にキレイゴトや偽善が嫌いでして、ヘラヘラした八方美人よりも、トゲトゲしい毒舌の人の方が見ている分には好感がもてるのです。
なんだかこの言葉が心にヒットしました。
と、こんな感じで所々に頷ける教訓のような話も出てくるのですが、概して本書は好きになれませんでした。
まず本家本元の「アドラー心理学」を著者が多少の主観で解釈し直している気がします。
それから「トラウマは存在しない」と書かれていますが、トラウマって脳の機能として科学的に見つかり認められているんですよね。
(アドラーもトラウマはないとは言い切っていなかった気がする。)
そういう意味で、深刻に過去に関する悩みや心身症をもつ方がこれを読むのはかえって危険なことがあるかもと思います。
そして最後に、哲人と青年のやりとりが、茶番劇のようで私はかなり冷めた気持ちで読んでしまいました。
年長者の哲人に対し、なぜが青年がひとりヒートアップして
「ええい、偽善だ偽善だ!」
なんて言うんですよ。
ちょっと読みながら恥ずかしくなる場面がいくつかありました。
- 作者: アルフレッドアドラー,Alfred Adler,岸見一郎
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結局岸見一郎氏が絡んでるんですけどね💦