ダーウィン『種の起源(上)』
何億年もかかった地球生命進化の歴史を、たった一人の たかだか数十年の人生で、ここまで解明してしまったことが、ある意味で恐ろしいと思います。
ダーウィンは膨大な標本やデータを採取し、そこから淘汰、分岐、成長の中での作用、本能、不妊、種の類似等々、様々な生物のパターンを読みとっいていき、進化の謎の一端を解きました。
そんな一連の考察が本書にはまとめられているわけですが、正直なところ、ひとつの種の長い潮流のなかのちょっとした変異など、私が読んでも細かい専門的なことは分かりませんでした。
そんなことよりも、実験で確かめようもない過去の出来事である「進化」について、帰納法を使い立派な科学にしたというところにダーウィンのすごさを感じました。
(と思ったら、巻末の解説にも似たことが書いてありました)
その意味では「学説の難題」の章が読んでいて印象に残っています。
進化についての一般的なツッコミを想定し、それに対して仮説と推論で答えを出していくところに、ダーウィンの功績の真髄を見た気がします。
- 作者: ダーウィン
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2013/12/20
- メディア: Kindle版
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さて、ここに書かれる動植物の進化論に照らし、我々人類の存在の不思議さについて考えさせられました。
本書には人間についてはあまり詳しく触れられていませんが、しかしきちんと読めば「人間も猿と先祖を同じくしている」ことは暗に示されているのが分かります。
この考えはダーウィンが執筆した当時から宗教的にタブーとされていたものですが、逆にわたしは「神を信じるものにとって、何故人間が猿から進化してはいけないのか?」という純粋な疑問が沸きました。
もちろん聖書には個々の生物、特に人間は神がつくったものだと書かれているからだということは知っています。
けれどそうではなく、自然が生んだ奇跡の中に「神」を見出だす感性があってもいいではないか!と反論したくなったのです。
別の姿形の祖先から淘汰され、無限の変異の末に我々が生き残ったということこそが、私は「神」の力だと感じます。
それほど、進化の結果として人類の存在は、偶然の産物とは思えないほど特異なものに思えるのです。
神がいるかは別にして、この奇跡を神の意図と呼ばずして、どこに神を感じるのでしょう?
これは万神(よろずがみ)という概念をもつ、日本人ならではの考えなのでしょうか。
人間だけでなく、これだけ多様な生物に行き着いたことも、無限の奇跡の賜物だと感じます。
これまで何億年の地球生物の進化の歴史の中で、もちろん淘汰された種も無限にあるでしょう。
けれど淘汰され絶滅した種は、単に劣っていたり不要だったりするのではなく、生き残った種の生存に一役買っているのだと、本書を読んで初めて気付くことができました。
また、種を存続するために個が蔑ろにされるケースがあるという事実も、考えてみれば衝撃的です。
個の尊重と全体の発展は両立できるのだろうか?という疑問に行き着きましたが、それをやろうとしたから、人類は人口や社会システムのうえで大変な問題に行き着いているのではないかという結論に私は達しました。
今回は本の内容を理解したというよりも、ダーウィンの主張を通して、生命の連鎖の中で生きるということについて深く考える材料を与えられたと考えています。
150余年も前に書かれた著書ですが、科学的な手法や他の科学者の話などを読んでいると、アカデミックな世界もなかなかドラマチックだなぁと思います。
しかし相反して、人間の前に立ちはだかる未解明の科学への気の遠くなるような畏怖の思いも同時に胸の中に広がりました。
ちなみにダーウィンに関しては適者生存や優性学などの言葉も思い浮かびますが、この考えは私の「戦争」に対する考えに影響を与えたものでもあります。